伊達成実
どくがんりゅーの従兄弟・藤五郎成実は、片倉小十郎景綱と並ぶどくがんりゅーの重臣なのは、有名でございます。
小十郎シニアが「知」ならば、成実はまさに「武」の人ですね〜
どくがんりゅーが会津を制覇するまでの間の、主要な合戦に出て、武勇をとどろかせている彼ではありますが、日本人に「軍師好き」が多いからでしょうか?どことなく小十郎に「知名度」が押されている感じがしないでもない・・・・^^;;
成実と来れば、私めはどうしても三浦友和氏を思い出してしまう・・・・(で、小十郎シニアと来れば、西郷輝彦氏を思い出してしまいます^^;;)
大河ドラマ「独眼竜政宗」の影響は、本当に大きいです!
「独眼竜政宗」で彼の事を知った訳ですが、かといって彼の事を詳しく分かったのは、つい最近の事・・・・
彼は、人取橋の合戦後、火傷で右手の指が全部くっついてしまっていた事を知りました!
それでも、『奥州の天王山』とも言うべき「摺上原の合戦」でも、伊達軍劣勢を覆す働きをしております。
やはり、伊達の「武」を代表する人だと思います。
「武」のイメージの彼ですが、当時の武将らしく文才にも長けていたようです^^
摺上原の合戦に勝利した後に歌われたという「さんさしぐれ」を作ったのは、どくがんりゅーとも成実とも言われております。

そして、何故か「家出」のイメージも強い彼・・・(苦笑)
出奔武将!と言われたら、私は、真っ先に彼を思い出します^^;;
どくがんりゅーとは、本当の兄弟のように仲が良かったようです。
そんな二人なのに、成実が突然出奔するのは、やはりどの出奔劇よりも「インパクト大」です!
まあ、従兄弟同士&仲が良かったとはいえ、主従の間柄・・・・いろいろありますわな!
・・・・・といっても、出奔の原因は、未だに不明なんだそうです。

後、彼のお父さんの実元は、越後の守護・上杉家の養子になる予定でございました。
もし、実元が越後上杉家の名代を継いでいたら、上杉謙信も存在しなかったし、何よりも成実も生まれなかった事になります!
その辺は、歴史の因果を感じてしまいまする(←意味不明??@爆)

もう一つ最近知ったのは・・・・
彼がどくがんりゅーの従兄弟というのは、母側の従兄弟なんですねえ・・・・
父・実元は、どくがんりゅーにとって、祖父の兄弟、つまりお父さんの叔父さんに当たります。
つまり、成実の父母は、叔父・姪の間柄なんですねえ・・・・(汗)
知りませんでした!