片倉小十郎景綱
・・・・ちなみに、小十郎のシニアの方ね・・・(笑)

この方の存在を知ったのは、むろん「独眼竜政宗」でございます。
それ以来、私のイメージでは、小十郎=西郷輝彦さんです(笑)
成実が「炎」ならば、小十郎は「水」という感じです^^
私の中では、政宗とこの方と成実の3セットで「伊達家」を彷彿とさせます。
もにもに(茂庭綱元)・・・すまん!(爆)
まあ、人気者の彼だから、私が彼の経歴などをここで説明しなくても大丈夫でしょう!(手抜き@爆破)
「智」でどくがんりゅーを支えたイメージのあるこの方、どくがんりゅーのためなら非情にもなれるようです。
疱瘡で右目が失明して、外に飛び出してしまったどくがんりゅーの眼球をくり抜いたのは、彼だという話です(爆)
それは、どくがんりゅーのコンプレックスを解消させるために必要だから・・・と考えた故でございます。
また、なかなか子宝に恵まれない主君より早く子だからに恵まれた小十郎は、その子を殺そうとします。
それは、なかなか子供が出来なくて悩んでいる(?)どくがんりゅーに対しての思いやり(?)から来ておりました。
そして、直江君率いる上杉勢が、もがみんの山形へ侵出した時、どくがんりゅーに「保春院(於東の方@政宗の母)を見捨てろ!」と非情な進言をしました!
これは、上杉と最上を両方戦わせ、それによって上杉が疲労した時に叩きつぶせばいい!という小十郎の提案でした!
逸話を見る限りでは、本当にどくがんりゅーに尽くしていたんだなあ・・・・と感じます。
さるから「三春5万石の大名に取り立ててやる」とスカウトを受けても、きっぱりと辞退した所からも伺えます。
その功績により、この方は慶長7(1602)年に白石城主となります。
それ以降、白石は片倉家の城下町となり、戦国ブームになった現在でも、片倉小十郎は白石を支え続けているようです(笑)
私はまだ行ったことがないですが、現在白石市は、小十郎一色になっているようですね〜^^;;;

あまり関係ないですが、異父姉・喜多を通じて、もにもに(茂庭綱元)と義兄弟というのが、何となく不思議な感じが・・・・(苦笑)
ちなみに、喜多の父・鬼庭左月のイメージは、長さんが強く私の脳内に焼き付いてしまっております(爆)
あれ・・・当たり役だったなあ〜(しみじみ)