六郷政乗
この人を書くのには、まだ私めの力量が足りなすぎるような気もします・・・・・(汗)
六郷氏は、二階堂氏の流れを組んでおりまして、多分須賀川にいた二階堂氏から別れた一派かもしれないという説があります。
現在の美郷町となっておりますが、湧き水群で有名な旧六郷町を拠点としていた、秋田の在郷領主の一人でした。
政乗の父は「道行」と名乗っておりまして、名前から見ても、オノデラーズに属していたと思われます。
政乗の姉か妹か分かりませんが、よっしー達の兄でよっしーの一つ前に家督を相続していた、光道(あきみち?)に、六郷氏の姫が正室として嫁いでいたようです。
光道が早くになくなり、よっしーが小野寺家の家督を継いだ時、兄嫁である光道の妻を、そのままよっしーの妻にして欲しいと、六郷氏から希望がありました。
しかし、よっしーは、それを拒絶・・・・・それだけが原因ではないと思いますが、そこから六郷氏がオノデラーズから離れるきっかけになったと言われております。
実際、小野寺氏×六郷氏の争いは、仙北を揺るがす事件となったようでして、北天の斗星やもがみん、大宝寺氏、由利衆が仲裁に入るほどだったという事です。
なんとか事は収まりましたが、六郷氏がオノデラーズに戻る事はもうありませんでした。
サルが天下統一した後、奥羽に検地に入った時、六郷氏は六郷一統衆(六郷氏、戸蒔氏、神尾町氏、久米氏、金沢氏、金子氏)の筆頭として
4500石の所領安堵を得て、完全にオノデラーズから独立しました。
そして、関ヶ原の後、もがみんが上杉側に付いてしまったオノデラーズを一斉攻撃する事になった時、この政乗が周りが3万石以上の領主達にほぼ囲まれている少領主でありながら
積極的にオノデラーズへ攻撃を加えております。
(ちなみに、政乗が道行からいつ家督を相続していたか不明ですが、慶長五年の時は、すでに六郷氏の当主になっていた事は間違いないと思います。)
その功績として、政乗は1万石加増となり、常陸府中へ転封する事となりました。
釣り天井事件で本城(本荘)藩へ転封となった本多正純が改易になった時、六郷政乗は2万石加増で本荘ではありますが、出羽の国に戻って参りました!
六郷・本荘藩は、そのまま幕末を迎える事となりました。
「移動になるたびに領土が大きくなっていく・・・・・この人って、いったいなんなんだろう???」というのが、私の印象です。
きっと、いい意味で流れに逆らわない人だったのかもしれませんねえ〜^^;;;
つーか・・・・本荘藩の藩主が、六郷氏だったと言う事を、ついこの間知ったので、驚きン十倍(爆)
世渡り上手なのか、勤勉なのか分かりませんが、秋田県の戦国時代の領主で、一番うまい事家を発展させたのは、この人ではないか?と私は思っております。
ちなみに、彼はよっしーと同い年・・・・・もう少しよっしーより若いのかな?と思っておりましたが、それも意外でした(←なんで?@爆)

あ、通称は「兵庫頭」です!
仁賀保挙誠も「兵庫頭」なので、最近は「ロクヒョー」「ニヒョー」と区別しております(どうでもいいことですが・・・@汗)