上条政繁(宜順)
(畠山義春と上条政繁が同一人物だという事を前提にお話しします)
もともとは、能登畠山家出身のおぼっちゃま(笑)
景勝君が生まれる数年前に、人質として越後にやってきて、数年後にケンシーンの養子になりました!
私が知っている限りでは、謙信’sチルドレン第一号です。
ケンシーンは、じょーじょーさんの才能を一目置いていたので、養子にしたようですが、その10数年後、上杉家一門の筆頭「上条家」へ養子入りしました。
ちなみに、じょーじょーさんの奥さんは、景勝君のお姉さんです。
能登が織田勢力下に入り、手取川で上杉軍が権六率いる織田軍を一蹴した後、勝手に能登衆からの取り次ぎ役をしたとかなんとかで、ケンシーンの怒りを買ったとかなんとか・・・・
(↑すみません!うる覚えなもので・・・・・)
ケンシーンから才能を買われていても、好みではなかったのかな?
ケンシーン死後、御の乱が起こったとき、景勝側につきました。
それは、景勝君にとってはとてもありがたかったことでしたが・・・・
景勝側が御の乱に勝利した後、上杉家一門衆筆頭という立場から、景勝政権下でじょーじょーさんの発言は重きものだったようです。
景勝のバックアップによって政に携わり、権力を拡大させていた直江君と対立するようになりました。
あまりにも口うるさかったのか、名目上昇格、事実上左遷の「海津城将」にさせられました。
景勝君と直江君の仲を裂こうと
「兼続を儂の部下にくれや!」
と景勝君にお願いしたりして(案の定、拒絶されます!)、上杉家中での権力を保持しようとしますが、そのうち信濃の運営に関して、景勝とも対立するようになり、秀吉の所に出奔してしまいました。
関ヶ原の時、家康の命で姓を「畠山」に戻し、高家として家は存続しました。
彼の一連の行動を見てみると、たぶん生まれ故郷の能登に帰りたいだけだったのだろうなあ・・・・と思います。
それがうまくいかず、居場所がどんどんどんどんなくなっていったような気も・・・(あくまでも私の妄想)
それでも景勝君は、じょーじょさんのことを嫌いではなかったんじゃないかな?と思っております(もちろん、あくまでも私見&妄想)
ですので、私のサイトでは景勝君はじょーじょーさんに(あれでも)好意的です(爆)
一説によると、じょーじょーさんは99歳まで生きていたとか・・・・・
それが本当だったら、真田信之を上回ってるじゃん!(汗)すげーっ!
私のサイトでは、「ガンバレ!景勝君シリーズ」の流れで、「八兵衛」とも呼ばれております。
それにしても、上条政繁と畠山義春が別人だったと言う説が証明されたら・・・・・私のこの長々と書いた文章は、どうしましょうかねえ・・・(消すしかないわな!@爆)
上条さんの上条城に、いつかは行ってみたいです・・・(笑)

じょーじょーさんの下の着物柄は下記サイトから使わせていただきましたm(_ _)m