ほぼ四面楚歌
上杉勢が山形から引き上げた直後のほぼ現秋田県の戦国時代の状況です。
湯沢にいた楯岡豊前守を助けるべく、もがみんは援軍を差し向けますが、湯沢へ向かう為に越えるべき「有屋峠」は冬のため雪が積もっていたため、援軍をすんなりと送ることは困難でした。
そこで、もがみんは、サネッティ・由利衆・六郷兵庫、はたまた南部さんや現一関市にいたるっちー(留守政景)にも「湯沢と増田を助けてください!」と援軍要請します。
特に、すぐに山北に大軍を差し向けることの出来るサネッティには、脅し半分で「湯沢と増田を助けてよ!!」と言っております。
この時、サネッティは、越後の堀さんからの要請もあって、庄内攻めをしようとしておりました。
しかも、山北に攻めるためには、戸沢領を通らないといけないのですが、サネッティを信用していなかった戸沢側は淀川を封鎖して、自領を通させませんでした。
(戸沢氏は、オノデラーズに味方したのかもしれませんが、「安東氏への警戒心」がそういう行動を起こした第一の原因だったと思います。)
サネッティは、しょうがなく由利郡を迂回して山北を攻めることになるのですが・・・・・そんなサネッティの行動がもがみんをいらつかせたのでしょうか?
周囲がめまぐるしく動いている中、孤立しているよっしー率いるオノデラーズは、まったく状況がつかめずにいました。
「直江様が山形へ引き上げたみたいだ・・・・」そんな情報が入った時、オノデラーズに動揺が広がったに違いありません。
オノデラーズ、絶体絶命です!