大島原合戦A
よっしーは、湯沢城を奪還するため、居城の横手から浅舞、植田を経由して皆瀬川を渡り、さらに河熊(角間)を経由し、森山まで軍を進めました!
もがみんの部将で湯沢城を守っていた楯岡豊前守は、よっしーの軍に対応するために、700騎を率いて湯沢城から出陣しました!
そして、大島原で両軍が激突しました!

オノデラーズ有利で戦は進められておりました!
山形のもがみんは、上杉の猛攻を受けていたため、湯沢には援軍を送る事が出来ませんでした
まさに、湯沢のもがみん勢は孤立無援・・・・・
それでも、雄勝郡にいるもがみん側の武将達は、豊前守へ加勢するために大島原に集まってきました!
そして、さらに豊前守の機転で、オノデラーズに動揺が走り、軍が乱れてしまいました
大島原から敗走するオノデラーズを、豊前守勢は追撃しました!
流れは豊前守勢にまわったかと思われましたが、森山まで引き上げたよっしーは、そこで軍を立て直し、反撃に転じました!
両軍の動きが膠着したため、豊前守は湯沢城へ引き上げ、よっしーは皆瀬川を渡り、植田まで軍を引き上げさせました!

そんな中・・・・・『関ヶ原での西軍敗戦』とそれに併せて『上杉勢の引き上げ』が、よっしーに報告されました!
雄勝郡は永遠にオノデラーズに戻らなかった・・・どころか、お家すら危うい事になろうとしておりました


余談
ちなみに、豊前守の兜の前立てや旗印は、秋田で豊前守の子孫という方がいらっしゃって、その方が持っている豊前守甲冑と旗印を元にして書きました
よっしーの場合は、私めの創造です!
よっしーは、牛さんのエピが多いので、牛頭天王を意識して、上記のような前立てを書きました
大島原合戦@のイラストにも描きましたが、オノデラーズの旗印は「牛」の絵だったようです
これは、佐竹義宣の家老・梅津半右衛門憲忠の指揮下にあった「角間川給人」の旗印の中にあった、「牛」の絵の旗印を元に書きました
ちなみに角間川給人は、旧オノデラーズ(=改易された小野寺氏の旧家臣団)により構成されておりました